1966年にリリースされたアルバム『リボルバー』に収録され、同年8月5日は『イエロー・サブマリン』との両A面シングルとしてリリースされました。
65年の『イエスタデイ』以来のストリング・アレンジで、その編成はバイオリンが4人、ヴィオラが2人、チェロが2人の計8人編成。
この人数は、前回の『イエスタデイ』の倍の人数なんだそうです。
この曲でポールは、その年のグラミー賞のコンテンポラリー歌唱賞を受賞しています。

ところで、この曲に登場するエリナー・リグビーなる人物ですが、1980年にセント・ピーターズ教会にて、彼女のお墓が発見されました。
ポール本人は、「全く架空の人物」とのコメントを残しているそうですが、Wikipediaには、その生涯が記載されていました。

実在するエリナー・リグビーは、1895年8月29日にリヴァプールで生まれ、1930年12月26日にトーマス・ウッズという男性と結婚したのち、1939年10月10日に脳出血で死去している。この人物の墓石は、リヴァプールを訪れるビートルズのファンの聖地となっている。エリナー・リグビーの墓は、1995年にビートルズの新曲として発表された「フリー・アズ・ア・バード」のミュージック・ビデオにも登場する。


引用元:Wikipedia|エリナー・リグビー

44歳の若さで亡くなられているとは、まさに『エリナー・リグビー』そのものといった感じです。
2019年の映画『イエスタデイ』では、主人公のジャック・マリックが、この曲の歌詞の内容を思い出すため、わざわざセント・ピーターズ教会を訪れるシーンもありました。
そのセント・ピーターズ教会は、ジョンとポールが始めた出会った場所で、その数メートル離れたところには「マッケンジー」と名前が刻まれた墓石もあるそうです(Wikipediaより)。
この偶然の一致は、この曲の物悲しさを、より強調しているような気がしないでもないですね。





初登場は1966年8月20日の101位。
同年9月24日より2週連続11位を記録しています。




ポールによるライブ盤です。
和訳の字幕入りでどうぞ。



<<音時さんによる和訳はこちら>>


ストリングスのみの演奏は、より高級感が増すようです。