Give Me Up(ギブ・ミー・アップ)/Michael Fortunati(マイケル・フォーチュナティ―)

2024年3月5日火曜日

 

リック・アストリーやデッド・オア・アライブ、カイリー・ミノーグにバナナラマ。
私は生まれてこのかた、ディスコやクラブなるものにはいったことがないのですが、ただ、どういったわけか当時ディスコで流れていたような彼らの音楽だけは知っているという、変な男の子でした。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じあほなら踊らにゃそんそん」ではありませんが、私はさながら「聞く阿呆」といったところでしょうか。
そんな「聞く阿呆」の私も、当時はよく聞いた(というより聞かされた)アーティストの1人がマイケル・フォーチュナティです。
1955年生まれの彼は、現在はフランスやベルギーといったフランス語圏で活動していますが、実はイタリア生まれ。
バブル景気真っ只中のディスコ・ブームの追い風に乗って、この曲『ギブ・ミー・アップ』が日本でも大ヒットしました。
さらにこの曲、日本のアイドル的ユニット、BaBeにもカバーされたことでも知られています。
もちろん私は、オリジナルよりもカバーの方を先に知ったわけですが。
たしか『夜のヒットスタジオDX』では、BaBeはマイケル本人と共演。
一緒に『ギブ・ミー・アップ』を歌っていました。
ちなみにこちらのカバー曲、『ザ・ベストテン』では最高位が11位で、ベストテンには入らなかったんですね。
何度もテレビで歌っていたイメージが強かっただけに、ちょっと意外でした。
そんなBaBeも、今や遠い過去の人のようになっていますが、マイケル・フォーチュナティは現在でも精力的に活動中。
2018年と2019年には来日も果たしています。




和訳版はこちら。




こちらがBaBeバージョン。
オリジナル歌詞と内容が全然違います。






こちらが2018年のマイケルさん。
多分、見に来ているのはオッサンとオバちゃんばっか。



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コメント

4 件のコメント :

みん さんのコメント...

かんたさん、こんばんは。
懐かしさの余りにめまいが(笑)


つなぎ目が全くないディスコ系CDが流行っていて
友人の車で、いつもかかっていたので懐かしいです。

家で聞くのか?というと聞かないんですよね…。
車とか外で聞いてオンオフ分けてた気がします。
家ではゆったり…でした。

私の時代のディスコは少し前かもです。
今の方には驚かれますが、チークタイムがあった時代です。
クラブに初めていった時に、踊らないでDJの方を向いて
リズムを取られていたのがカルチャーショックでした。

今、ディスコがあれば行きたいです、
BaBeも、今でも目に浮かぶぐらい印象に残ってます。
元気な二人でしたね。

かんた さんのコメント...

みんさん、コメントありがとうございます。

チーク・タイム…。
噂では聞いていましたが、私には無縁の世界でした。


>クラブに初めていった時に、踊らないでDJの方を向いて
>リズムを取られていたのがカルチャーショックでした。

最近ではディスコのことをクラブ(語尾が上がるみたい)というんですね。
実はこの2つ、同じように見えて微妙に違うみたいです。
『街コンジャパン』というサイトで、その違いについて面白い記事が載っていたので、ちょっと引用させていただくと以下のようになります。
ディスコは法的には「ナイトクラブ」の位置づけになるそうです。
「お店がお客さんに酒類を提供して、さらにDJを使ってお客さんたちを躍らせる娯楽施設という位置づけとなります」ということらしいです。
一方、クラブは「喫茶店・バー・レンタルスペース」の位置づけです。
「ディスコと同じようにDJがいて音楽もかかっていますし、踊りも可能ですが、あくまでDJはイベントを行うためのレンタルスペースを利用しているという形となる」のだそう。

(参考URL:https://machicon.jp/deaibar/column/5307)


これらを踏まえると、ディスコは踊ることを目的とし、クラブはパーティやライブなどを目的とする。
クラブはその延長で「踊ってもいよ」的な…。
このように、もともとの成り立ちが根本的に違いますから、そういう現象が起こっても無理がないのかなと思われます。

みん さんのコメント...

かんたさん、再びこんばんは。

ディスコとクラブの違い、営業の種類が違うとは!
初めて知りました。

ディスコの時は、DJの方って小窓から見えてるぐらいで
目立つ存在ではなかったのですよね。
チークタイムは「メリー・ジェーン」がかかっておりました。

ただただ、踊ってる、それも鏡に向かって(笑)
上手い方がおられると、真ん中で踊っておられました。
まだ、お立ち台がなかった時代です。マハラジャも行きましたが、
初期だったのかな…。

クラブは、友人がDJをしていたので呼ばれたのですが
ブラックライトで、洋服の埃だけが見えておりました…。
40才を過ぎていたので、早々に挨拶だけして帰宅しました。


21才の時に
ディスコを借り切ってパーティを催した事(100人ぐらい)があり、
選曲担当でした。
その時は「箱」を借りたので、
クラブ形式だったかもしれません!
元気でしたね…(遠い目)

かんた さんのコメント...

みんさん、コメントありがとうございます。

当時のディスコの雰囲気、なかなか興味深かったです。昔テレビでや映画で見たディスコのイメージ、そのまんまといった感じでした。
ただ、むかし会社の先輩から聞いた話だと「俺たちのころは、ディープ・パープルの『ハイウェイ・スター』もよくかかっていた」とのことでした。
ディスコにディープ・パープル…。
ちょっとイメージが合わないです。
その話を聞いていた同僚は「あれで踊るの?」って、ちょっと不思議がってました。

>上手い方がおられると、真ん中で踊っておられました。

TRFのサムさんがそんな感じだったのでしょうか?
そういえば杉本彩さんは、デビュー前、地元のディスコでブイブイいわせていたという噂を聞いたことがありましたが、本当かなぁ。