この曲が流行った1989年ごろというのは、私自身の洋楽ライフもすっかり様変わりしていて、ヒットチャートの追っかけによる多種多様なレパートリーから、特定のジャンルの特定のアーティストを聞くようになりました。
早い話、シングル中心からアルバム中心へと変わっていったわけですね。
そんな時期に大流行していたボビー・ブラウンですが、残念ながら、当時の私のレパートリーには入っていませんでした。
にもかかわらず、彼の楽曲はMCハマーと同様に、レパートリーに入っていなくても、なぜか耳に入ってきたアーティストです。
それだけに、当時の彼の人気はすさまじかった、ということですね。
巷では、彼のファッションの真似をした「ボビ男(ぼびお)」なるものまで出現したほどです。
ちなみに、MCハマーのそれは「ハマ男」と呼ばれていました。
そんなボビー・ブラウンですが、もともとは前回紹介したニュー・エディションのメンバー。
1986年にグループを脱退した2年後に、アルバム『ドント・ビー・クルエル』をリリース。
これが彼の人気を決定づける、大ヒットとなりました。
のちにホイットニー・ヒューストンと結婚するも、結婚生活14年で離婚。
そんな結婚生活の中で、彼女に色々な影響を与えてしまったのか、ホイットニーの関係者からは、かなり煙たがられる存在になってしまいました。
ところで彼は、人気絶頂だった89年に来日公演を行っていますが、その横浜アリーナでの公演が、自身の遅刻で1時間も開演が遅れたそうです。
その遅刻の原因が、ボビーが会場に来ていた女の子を品定めしていた…、ということだそうですが、本当かなぁ。
もともと、かなりの女好きだったそうですが…。





初登場は1989年3月22日の84位。
同年6月10日より2週連続3位を記録しています。




和訳版はこちら。




時代が時代だけに、こういうダンス・カバーも増えそうです。