Careless Whisper(ケアレス・ウィスパー)/Wham!(ワム!)

2024年1月13日土曜日

 

拙ブログの記念すべき第1回目の投稿以来の、ワム!の登場となります。
おそらくこの曲、『ケアレス・ウィスパー』は、80年代を代表する名バラードのひとつ。
全米ヒットチャートでは1985年2月16日付より3週連続1位を獲得。
その年の年間チャートでも、80年代最強のマドンナ(Madonna)の楽曲を抑えて、堂々の1位を獲得しました。
ちなみに、その年の年間チャート3位が同じくワム!の『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』。
同じ年の年間チャートで同じアーティストの曲が2曲もベスト3入りするのは、極めて異例のことだったそうです。
まさに、彼らの80年代における勢いが象徴された出来事といえるでしょう
この曲の甘いサックスフォンのイントロのフレーズは、誰もが一度は聞いたことがあるはず。
この大ヒットを受けて、日本でも西城秀樹や郷ひろみといった歌手がこの曲をカバーしています。
たしか『夜のヒットスタジオ』でこの2人が共演したときも、このカバーバージョンの歌い比べをしていました。
その時の外タレ・ゲストは、ワム!と同じくイギリスのアーティストであるスパンダー・バレエ。
やはり同じイギリス出身ということで、間近でライバルの曲を絶賛され、それを聞かされた彼らの心境ってどうだったんだろう?
当時の番組プロデューサーも、そこのところをもう少し気を使えばいいのにと思ったりしたものです。

ところで、このワム!ですが、結成は1981年。
小学校の同級生だったジョージ・マイケル(2016年に他界)とアンドリュー・リッジリーのデュオとして結成されました。
そしてこの曲、『ケアレス・ウィスパー』は、なんとボーカルのジョージが17歳の時の書いた曲!
のちにアンドリューも、この曲に手を加えているそうですが、ジョージはこの曲を例として「一度書いた曲は、捨てないこと」と、ソングライターの卵たちにアドバイスを送っていたそうです。




初登場は1984年12月22日の37位。
翌年2月6日より3週連続1位を記録しています。
12月29日はビルボードがお休みのため、データはありません。

<<1位を記録したときのヒットチャートはこちら>>
(星船さんのブログより)

和訳版はこちら。



<<音時さんによる和訳はこちら>>
この楽曲、当時17歳のジョージの妄想から出来上がったようです。


こちらは、郷ひろみさんのバージョンです。
2番の歌詞に、ちょっと生々しいフレーズが…




こちらは西城秀樹さんのバージョン。
当時のタイトルは『抱きしめてジルバ』となっていました。
以前見た動画では、郷さんのバージョンとは違い、コメント欄には英語のコメントが多いです。
やはりカバー曲としては、イメージ的にこちらの方があっているからでしょうか?



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コメント

6 件のコメント :

みん さんのコメント...

かんたさん、こんばんは。

ワムですね。
懐かしいし、イントロクイズなら一音、鳴らす前の音で
ボタンを押す勢いです。

「ラスト・クリスマス」が恋人たちのクリスマスソングとなっていますが、
元カノ、元カレの歌ですよね。
ワムと聞けば、あのMVを思い出します。

そして、
ジョージ・マイケルが亡くなっていたのは知らなかったです。
(アンドリューが亡くなってたと勘違いしておりました)

妹がアンドリューの大ファンだったので
ワムは妹の部屋から聞いて覚えた洋楽です。

かんた さんのコメント...

みんさん、コメントありがとうございます。

ジョージが亡くなったのは、2016年の12月25日でした。
すなわち、クリスマスの日であります。
これを受けて、「正真正銘のラスト・クリスマス」なんてコメントしている族(やから)もいたりでした。

そんなワム!ですが、やっぱりアイドル的な人気が先行してしまって、2人のミュージシャンとしての才能がなかなか評価されない現象が起きています。
とくにジョージ場合、それが祟ってか、世界一過小評価されているボーカリストではないかと思われます。

みん さんのコメント...

かんたさん、

再び、こんばんは。

お二人とも、かっこかわいいタイプでしたよね。
妹の部屋には特大ポスターが
貼ってありました。

ジョージマイケルのFAITHを
当時CMで聴いてめちゃくちゃはまりまして、
ヘビロテで聴いてました。
朝に聴くと仕事がんばろーって笑
思えました。
(当時車店にいたもので車は
大好きなのもあります)
昔の車のCM曲は良いものが多くて
ジョージマイケルのこの曲も
リフが特徴的で軽やかなボーカルも好きでした。

ワム、よかったですよね。
ほんと、よく聞いていて
良質なポップスでした。
アイドルとして見たことなかったから
過小評価
そんなことがあったなんて驚きです。

240 さんのコメント...

おはようございます。
80年代洋楽の定番ソングですね。
この曲を聴く度に、これは完全にジョージ・マイケルのソロ。ワムにおけるアンドリューの音楽的な存在はどこにあったんだろう…といつも感じます。
恐らくジョージの精神的な存在だったのだろうとは思うのですが。

それにしてもジョージは早熟すぎる方でしたね。

かんた さんのコメント...

みんさん、コメントありがとうございます。

『FAITH』を聞いたときは正直びっくりしました。
「この人、こんなん曲も書けたんだ」といった具合にです。
まさに、真の天才とはこの人のことを言うんだろうなと思いました。

過小評価に関しては、これは私の実感です。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」でも、ジョン・レノンやポール・マッカートニー、さらにはフレディ・マーキュリーまで選出されているのに、ジョージ・マイケルは圏外でした。
これに関しては、ジョージ自身が選考委員176名ののメンバーに入っていたことが関係していると思われますが、同じく選考委員のメンバーに加わっていたブルース・スプリングスティーンが36位にランクされていることを考えると、やっぱり彼は過小評価されているのかなぁと思いたくもなります。

かんた さんのコメント...

240さん、コメントありがとうございます。

この楽曲、国によってはジョージ・マイケル名義になっている場合もあるようです。
この楽曲のPVの撮影当時、相方のアンドリューは体調を崩していた時期。
そのため、このPVではジョージのみの出演となっています。
この楽曲がジョージ名義になっているのも、そのことが関係しているのでしょうか?

>恐らくジョージの精神的な存在だったのだろうとは思うのですが。

このことに関しては、もしかしたら昨年配信されNetflixのドキュメンタリーで、解き明かされているかもしれません。
それによると、もともと転校生だったジョージは、そのことが影響してか内気な少年だったそうです。
そこで「ジョージが学校に慣れるまで、彼の面倒を見るように」と担任の先生に頼まれたのがアンドリューだったそうです。
それがのちにワム!へとつながるわけですから、ジョージにとってアンドリューの存在は、私たちが想像している以上の"特別な存在"だったかもしれません。