Saving All My Love For You(すべてをあなたに)/Whitney Houston(ホイットニー・ヒューストン)

2024年2月10日土曜日

 

こんなことを言うのは失礼かもしれませんが、私はとくに彼女、ホイットニー・ヒューストンのファンという言わけではありませんでした。
それでも20世紀の洋楽シーンを語る上欠かせない存在ということ、明日は彼女の(日本でいう)十三回忌ということで取り上げたいと思います。
とはいっても、やはり彼女の突然の訃報には、ファンじゃない私からしても衝撃的でした。
もちろん、それだけ音楽ファンのあいだでは、彼女の名前は浸透していたということでしょうか。
死因に関していえば、色々憶測が飛んでいるようですが、やはり薬物による影響が大きいようです。
そういえばその彼女の死から3日後の2月14日にはマイク・ベルナルドが、その2日前の2月9日には太平シローがそれぞれ亡くなっています。
あまりにも立て続けに有名人が死んだものだから、「もしかしてホイットニーもマイクも、あの世から太平シローに呼ばれた?」なんて、アホなことを妄想したりもしたものです。
まぁ、そんな話はともかく、今回取り上げるのは、彼女にとって初の全米№1ヒットとなったになった『すべてをあなたに』。
全米アルバムチャートで14週連続第1位を記録したデビューアルバム『Whitney Houston(邦題は『そよ風の贈りもの』)』からのセカンド・シングルですが(ファーストじゃなかったんですね)、以外にもこの曲、カバー曲だということは、あまり知られていません。
オリジナルは1978年にマリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・Jrという人が歌った曲。
こちらの方は、あまりヒットしなかったようですが、ホイットニーのおかげでこの曲が日の目を見た形となりました。
内容はご存知の通り、不倫をテーマにした楽曲。
日本に置き換えると、テレサ・テンか小林明子といったところでしょうか。
この『すべてをあなたに』の№1を皮切りに、彼女は7曲連続で全米1位を獲得しています。
まさにこれほどの活躍は、マドンナかマイケル・ジャクソンクラスですね。




初登場は1985年8月17日の53位
同年10月26日に1位を記録しています。

※1986年1月4日はビルボードがお休みのため、データはありません。

<<1位を記録したときのヒットチャートはこちら>>
(星船さんのブログより)


『glee』からの和訳版です。



<<音時さんによる和訳はこちら>>


こちらがその、マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・Jrのオリジナルです。




なお、ホイットニー・ヒューストンは、デビュー前の1984年に『ホールド・ミー』という曲で、テディ・ペンダーグラスとデュエッとしています。
この曲はテディのシングルとしてリリースされているみたいで、ビルボードの最高は46位でした。
ちなみにこのテディ・ペンダーグラスという人、加トちゃんケンちゃんの「ヒゲダンスのテーマ」の元ネタとなった『ドゥー・ミー』を歌っていた人です(こちらを参照⇒⇒⇒)。



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コメント

6 件のコメント :

240 さんのコメント...

名曲の登場ですね。
この曲のオリジナルがマリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・Jrとは知りませんでした。
この二人、もちろんフィフス・ディメンションのメンバーで、そこまら夫婦になった方々。フィフスもこの二人も大好きなので、この曲を歌っていたとは…。
マリリンのバージョンもいいですが、やっぱりホイットニーの歌唱力、際立ってますね。
当時、日本ではまだ無名だったホイットニーですが、この曲はいいなあと思って聴いてました。デビューアルバムも名盤ですね。

かんた さんのコメント...

240さん、コメントありがとうございます。

マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・Jrのバージョンは、ジャズのテイストが盛り込まれていますね。
私、意外とこっちのほうが好きだったりして…
もちろん、ホイットニーのバージョンも良いですが。
それにしても、この2人があの『Aquarius』歌っていた2人だったとは…
マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・Jrの経緯を知らずにアップしてしまったものだから、私にしてみれば、そっちの方にビックリです。


PS:
おそらく何らかのトラブルが原因で、240さんのコメントが二重投稿になっていました。
そのため、どちらか片方のコメントを削除しておきます。
ご了承ください。

みん さんのコメント...

かんたさん、こんばんは!

ジャケも含め懐かしいです。
よく聴いていました。カセットのアルバムの時代でした。
ボーカルスクールに行っていた頃、
歌の上手い方はホイットニーを選曲しておられました。


そういえば、
「ボディガード」で有名な
『I Will Always Love You』もカバー曲ですね。
歌い上げると、こんなにもドラマティックになるのか…です。

映画のボディガードは父が大好きで、ホイットニーも
大好きでした(マドンナも笑)
今も父はアグレッシブな映画ばかり見ております。

いろんな想い出が交差しております!
それも楽しく、ありがとうございます。


かんた さんのコメント...

みんさん、コメントありがとうございます。

『I Will Always Love You』のオリジナルはドリー・バートンですね。
彼女の場合、この曲をホイットニーがヒットさせるまでは、同名映画の主題歌となった『9時から5時まで』とか、ケニー・ロジャースとデュエットした『Islands in the Stream』のほうが有名だったのではないでしょうか。
もっとも、私も彼女のことはつい最近知ったのですが、本来カントリー・シンガーでした。
そのため、歌唱法もホイットニーとは対照的になってしまうのは、当然といえば当然かもしれません。

『ボディ・ガード』に関しては、私の場合、どちらかといえばケビン・コスナー目当てで見に行きたかった映画なのですが、タイミングを逸してしまい、いまだに魅入られていない映画です。
ちなみにケビン・コスナーは、その映画の関係でホイットニーの葬儀では弔辞を読み上げたことは、あまりにも有名なエピソードです。
一方、元夫だったボビー・ブラウンは彼女の葬儀では締め出しを食らったとか。

ローリングウエスト さんのコメント...

5年前に彼女の伝記映画「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を観てきました。人生暗部を描いたドキュメント映画という点で華やかさがなく悲しい映画でした。母親がゴスペルシンガーのシシー・ヒューストン、従姉はディオンヌ・ワーウィック、ホイットニーの名付け親がアレサ・フランクリン、というまさに歌手になるために生まれてきたような生粋のサラブレッド、世界で最も売れた歌手の1人になったのに夫ボビー・ブラウンとの離婚、親友との絶交、実父の背信、そしてアルコール・薬物依存の泥沼状態に嵌り、2012年に48歳で亡くなるまで彼女の後半生はまさに悲惨というしかありません。また幼少期に従妹従ディオンヌ・ワーウィックから性的虐待を受けていたとの疑惑が浮上、まさに踏んだり蹴ったり・・(泣)「人生は平凡であっても健康平常で過ごせて終わりよければ全てよしだなあ」・・と再認識した次第です。

かんた さんのコメント...

ローリングウエストさん、コメントありがとうございます。

「天才は夭逝だ」を地でいってしまったタイプでしょうか?
ジョン・レノン、ジミヘン、ジャニス・ジョップリン、尾崎豊、モーツァルなども、そのタイプ。
ただ、名をはせた音楽家や芸術家というのは意外にも長生きにな人も多く、ポール・マッカートニーなんて御年80歳を超えています。
さらに画家のパブロ・ピカソもも92歳だし、喜劇王のチャーリー・チャップリンや先日亡くなられた小澤征爾さんも88歳でした。
ヴィヴァルディやバッハは60代まで生きたそうですが、こちらも当時としては長生きなほうでしょう。
スーパー・スターというのは変な妬みや恨みを買ってしまう傾向が強く、それがよからぬ形となって襲い掛かってきて彼らの寿命を縮めてしまうのかもしれません。
一方、"名指揮者"と言われているヘルベルト・フォン・カラヤンは、周りを出し抜いて出世街道を突っ走ったため、フルトヴェングラーやチェリビダッケといったライバルたちから、相当な恨みを買っていたそうです。
にもかかわらず彼は、81歳まで長生きしました。