つい最近知ったのですが、この曲のプロデュース、なんと大瀧詠一さんだったんですね。
シティ・ポップスの大御所がまさかこんなふざけた曲、失礼、ユニークな曲をプロデュースなさっていたとは…。
リリースは昭和52(1982)年。
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』のコメント欄でも少し話題になりましたが、ビートルズの楽曲はあまりにも有名なものが多いものだから、私たちがファンになる前から知っていた楽曲も少なくありません。
リンゴ・スターがボーカルを取る『イエロー・サブマリン』もそのひとつ。
しかしこれが、「学校の音楽の教科書に載っていたので…」とか「英語の教科書に載っていたので…」だったらいいのですが、この『イエロー・サブマリン』の場合、「金沢明子さんの『イエロー・サブマリン音頭』で知った」という方のほうが、圧倒的に多いのではないでしょうか。
そのため私の場合、本家本元の『イエロー・サブマリン』を聞い聞いたときには、思わず金沢明子さんのバージョンを思い出してちょっと笑ってしまうという、完全なる逆転現象が起こっていました。
パロディ曲もいいですが、それがオリジナルに猛追するほどの評価を得てしまうのも考えものですね。
当然、今現在『イエロー・サブマリン』を聞いても、金沢明子さんのバージョンは思い浮かべない訳ですが。
ちなみに、これと同じパターンだったのが、かの名曲『イエスタデイ』。
こちらの方は、本家本元よりも先に、太平サブロー・シローの漫才のネタで知りました。
ところで、その金沢明子さんですが、アルバム・デビューは21歳のころ。
そんな年齢で民謡デビューしたため、当時のキャッチフレーズが「民謡界の百恵ちゃん」だったとか。
平成3(1991)年には民謡をハウス・ミュージック風にアレンジしたアルバムも発表されいるとのこと。
最近ではインターネットにもハマっているという彼女。
意外と新しいもの好きだったからこそ、こういう作品が生まれたんでしょうね。






当然、こちらがオリジナルです。



<<音時さんによる和訳はこちら>>


こちらは『イエロー・サブマリン音頭』の生歌披露です。
当時のレコーディングの裏話も披露されていますが、1分33秒あたりのアナウンサーのコメントが…