What's Love Got To Do With It(愛の魔力)/Tina Turner(ティナ・ターナー)
ちょっと不謹慎な話になってしまいますが、ティナ・ターナーの訃報を受け、私が思わずやってしまったことは、Googleのトレンドワードを調べることでした。
その結果やっぱりといいますか、5月25日の午後9時時点では「ティナ・ターナー」が1位でした。
このまま洋楽アーティストとしては、1月12日の「ジェフ・ベック」以来の1位かと思われたのですが、夕方に起きた"例の事件"の影響で、2位でした。
もっとも、訃報の影響で1位を獲得しても喜んでいいのやらですが、それでも彼女が遺した国内外での功績というのが、いかに偉大であったかというのがよくわかる事例だったと思います。
そんなティナ・ターナーは、1939年アメリカはテネシー州ブラウンズビル生まれ。
1966年には、夫であるアイク・ターナーと結成したアイク&ティナで、名曲『プラウド・メアリー』を大ヒットさせています。
そして何といっても、私の世代で忘れてならないのが、この曲『愛の魔力』。
アイク&ティナ解散後、なかなか日の目を浴びなかった彼女が、この楽曲の大ヒットにより、華麗なる大復活を遂げるのでありました。
その当時は数えで44歳!
その後にソロとして、グラミー賞を8回も受賞。
さらにその年齢にして、当時人気絶頂だったシンディ・ローパーや、のちに大人気となるマドンナらと、肩を並べるほどの人気女性シンガーとなっちゃうのですから、本当に凄いことです。
そんな彼女に、ついたあだ名が「ロック&ロールの女王(これ、訃報で初めて知りました)」。
ソウルでありながら、ロック&ロールというあたりが、非常に興味深い。
2021年にはソロ名義で「ロックの殿堂入り」も果たしています。
2013年にはスイスの市民権を得た彼女は、5月24日にそのスイスのチューリッヒの自宅で息を引き取ったとのことです。
ところで、そのあだ名といえば、彼女の場合、その見た目のインパクトもかなり強烈。
彼女を初めて見た弟などは、「ウヒャーッ!」でしたからね。
そんな見た目だったからでしょうか、あるDJさんがつけたあだ名というのが、「ライオン丸」。
いまにして思えば、とても失礼なあだ名です。
<<音時さんによる和訳はこちら>>
1984年5月19日に初登場92位。
同年9月1日より3週連続1位を記録しています。
<<3週連続1位を記録したときのヒットチャートはこちら>>
(星船さんのブログより)
2009年のライブ映像から。
70を超えてもなおこのバイタリティ、凄すぎます。
1996年にはラッパーのウォーレン・Gが、この曲をサンプリングとして使用しています。
こちらは、アイク&ティナ時代の名曲『プラウド・メアリー』。
オリジナルはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)です。
こちらは以前紹介した『ヘルプ!』のカバーバージョン。
そういえば、彼女もこの曲をカバーしていたんでしたよね。
コメント
4 件のコメント :
こんにちは。
60年代から活躍していたティナ・ターナーは、我々80年代リスナーにとっても印象深いアーチストですね。
アップされている曲も印象的ですが、私的には何と言ってもブライアン・アダムスとのデュエットの「It's Only Love」が強烈に印象に残ってます。
あのティナのど迫力にブライアンも負けじと歌っているPVが印象的でした。
240さん、コメントありがとうございます。
『It's Only Love』は、収録アルバムはブライアン・アダムスの『レックレス』でしたが、PVの収録はティナ・ターナーの「プライベート・ダンサー・ツアー」だったんですよね。
あのPVはのちに、1986年のMTVミュージック・アワードの最優秀ステージ・パフォーマンス賞を受賞しています。
ティナ・ターナーは数年前からいつか公開しなきゃと思いつつずっと未公開だったのですが昨年10月に漸く記事をまとめることができたのでホッとしていたところです。まだまだ元気だと称賛していたのに、その数か月後に訃報を聞くとは・・・、虫が知らせていたのかもしれません。自分は70年に夫アイクと夫婦で歌っていた頃のワイルドなティナが今も脳裏に強烈な思い出として刻まれています。
https://rolingwest.exblog.jp/32785165/
ローリングウエストさん、コメントありがとうございます。
私も、まだまだ80を超えても現役だと思っていただけに、ちょっとショックです。
ただ、その訃報の記事を読めば、最近は闘病生活だったとのこと。
ネットで彼女の近影の写真を見ましたが(2021年)、とても闘病中とは思えないぐらい、元気そうだったのですが…。
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