Waterloo(恋のウォータールー)/ABBA(アバ)
『恋は水色』の記事で少し話題に出た『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』ですが、これがなかなか侮れないコンテストでして、欧州圏ではかなり有名なコンテスト。
1956年の第1回大会から数えて、なんと60年以上もの歴史を持つのだそうです。
その『恋は水色』は4位でしたが、この大会の優勝者としては、フランス・ギャルの『夢見るシャンソン人形』や、当時はスイス代表として出場していたセリーヌ・ディオンも優勝経験があります。
さらには運動会のダンス競技でもおなじみとなった『ジンギスカン』も、このコンテストで話題をさらいました。
そして何といっても、特筆すべきは1974年の第19回大会。
この年はスウェーデン代表のABBAが『恋のウォータールー』で、堂々の優勝。
これを皮切りに、ABBAの快進撃が始まるわけです。
母国語がスウェーデン語でありながら、英語圏で成功を収めた稀有なグループであります。
ところでこのタイトルにもなっている「ウォータールー」ですが、これはあの有名な「ワーテルローの戦い」のこと。
ナポレオン最後の戦いにして、オランダ・プロイセンの連合軍がナポレオン率いるフランス軍を破った戦いとして有名です。
「ナポレオンが負けたように、私もあなたに負けたは」といったように、歴史の出来事を自身の恋愛に置き換えたとてもユニークな歌のようです。
っていうことは、これを日本版にすると『恋の桶狭間』とか『恋の関ヶ原』になっちゃうのでしょうか?
演歌だと、いい歌が書けそうですが…。
初登場は1974年6月1日の76位。
同年8月24日に最高6位を記録しています。
<<音時さんによる和訳はこちら>>
こちらはその『ユーロビジョン・ソング・コンテスト74'』に出場したときの歌唱のようです。
なんと、ABBAと同タイトルの楽曲があったようです。
歌っている人は、Stonewall Jacksonという人。
こちらは1959年に全米チャート4位まで上がったそうです。
曲調からして、歌詞の内容はABBAのそれと類似しているのでしょうか?
コメント
6 件のコメント :
かんたさん、
こんばんは。
このような貴重な映像が(それも綺麗に)残っているのですね。
ジンギスカンとか懐かしすぎますよ。
ABBAは、小学生の時に田舎のいとこの家でLPを見つけ
畑にみんなが出た隙に大音量で聴いて、それから毎日聴くほど好きでした。
カナルビふって歌ってました。
爽やかなハーモニーなのに、また歌詞を見て
驚いている次第です!
みんさん、コメントありがとうございます。
この曲は、私が洋楽を聞き始めたころに、たまたまラジオで流れていたのを聞いて知りました。
つい最近の曲だと思っていたら、その当時から数えて10年前の曲だと知って、ちょっとビックリしたの覚えています。
ところで、小学生から洋楽に触れている人って、やっぱり「兄・姉のLPから」とか、「年上のいとこのLPから」という人が多いのでしょうか?
私のいとこの部屋にもLPレコードがそれなりに置いてありましたが、洋楽はあったかどうか覚えていません。
っていうか、当時は、「いとこが聞いた曲は、すべて大人の曲」といったイメージで、ほとんど興味がなかったです。
今にしてみれば、ちょっともったいなかったかな。
そういえば、いとこの車のカーステレオからは、メン・アット・ワークの『ノックは夜中に』が流れていたのを思い出しました。
かんたさん、再度こんばんは。
記憶をたどってみると、エア・サプライを教えてくれた友人も、
カセットに「ジェフ・ベック」と書いたテープをくれた子も、
お姉さんがいましたね。洋楽は年上から、は多いかもしれません。
コーセー歌謡ベスト10の後の洋楽TOP10もありますよね。
その割には、私は洋楽の名前も憶えていない事の方が多いんですよね(汗)
邦楽ばっかりです。
Who Can It Be Now? 、懐かしいです。
カセットに入れていました。ジュークボックスとか、
パブとかでもかかっていた記憶があります^^
みんさん、コメントありがとうございます。
そういえば昔、ギタリストのCharさんとアルフィーの坂崎幸之助が、とある番組で対談をされていたことがったのですが、そのときお2人は「兄の影響でギターを始めると、普通の人よりもスタート地点が高くなる」という趣旨の発言をされていました。
これはどうも、「兄の練習しているギターの音を客観的にとらえることができるからだ」ということらしいです。
実際にCharさんも坂崎さんも、お兄さんの影響でギターを始められたそうです。
>コーセー歌謡ベスト10の後の洋楽TOP10もありますよね。
それ、『ダイアトーン・ポップス・ベスト10』だと思います。
土曜日は、学校から帰ると必ず聞いていました。
実はこの番組、意外にも歴史が古く、DJが何人も変わっています。
私が聞いていたころのDJはセーラ・ロウエル(当時:セーラ)さんでした。
RWが彼らに初めて接したのは中学3年生(1972)の高校受験勉強をしていた時期、インスタントラーメンをすすっていた時に深夜放送ラジオから流れてきた「ビョルン&ベニー」という男性デュオの爽やかな曲「木枯らしの少女」(1972)が最初の出会いでした。秋風似合うセンチメンタルムードの青春時代の名曲は、シングルチャートTop10入りし50万枚を売り上げる大ヒットとなり今も脳裏に刻まれていますが、当時は完全に一発屋ですぐ消えるコンビだと思っていました。まさかその2人組が夫婦で世界を席巻するなんて思いもしなかったですね。1975年頃は日本でもまだ知名度は低かったですし・・。「恋のウォータールー」「ハニー・ハニー」あたりは注目度はそれ程でもなかったですが、メロトロン音響を入れながら盛り上がっていくアレンジが心地よい「SOS」(1975)あたりから日本でも人気が出始めてきましたね。小生がアバに初めて嵌ったのはた大学1年で聴いた「悲しきフェルナンド」 (1976)でした。2年前に4人で復活してくれて嬉しかったですねですね~。
ローリングウエストさん、コメントありがとうございます。
この『木枯らしの少女』は、もともとはスウェーデンのポルノ映画の主題歌だったんですよね。
ポルノ映画といっても『エマニュエル夫人』みたいなものだと思うのですが。
ただ、あの曲を聞くと、やっぱり「なるほど」という印象を受けます。
後に、ABBAでの成功をうかがわせるような1曲です。
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